ポプラに想う
ポプラの樹を見ると若い頃に大先輩から聞いた話を想い出します。
夏の間、キャンプ・カウンセラーとして、キャンパーを迎えては、送り出し、また、入れ替えで次のグループを迎え入れる生活をしていた学生時代でしたが、ローテーションのせいで、ポッカリと空白の半日が出来たことがありました。
そんな時、所長さんからお茶に誘われて所長室に行きました。とりとめもない雑談をしながらお茶をご馳走になっていました。その時「昔、シベリアに抑留されていたんだけれど、それは大変な生活でね。」と昔話しを始められました。戦後、生まれの私は、所長がシベリアに抑留されていただなんて思いもしませんでしたので所長の言葉に愕然としました。
そして所長さんは、私に、こう質問されました。「シベリアでの抑留生活で一番辛かった仕事は、何だったと想うかね。」しばらく考えた後に「わかりません。」と答えると所長さんは、「抑留中は、いろいろな仕事をさせられたけれど、何かトラブルがあった時に罰として科せられたのが煉瓦運びなんだよ。」と続けられました。
さらに「目の前に山のように積まれた煉瓦を別の場所に運ぶんだよ。1日がかりでやっと運び終わったと思ったら、また元の所に戻す。これを繰り返すんだよ。これが一番きつかったなあ。ただ意味もなく労働させるための労働。仕事としての目標もなく成果もない。ただ体力を消耗させんがための仕事。これが一番きつかったなあ。今もポプラの樹を見るとシベリアのことを想い出すんだ。だから私は、ポプラの樹が嫌いなんだよ。」しみじみと言われた言葉が忘れられません。
忙しさに紛れてキャンパー達に「ああしろ。こうしろ。」と命令口調で指示する私たちを見て所長は、つらかった昔の生活を想い出しておられたのかも知れません。
40数年たった今もポプラの樹を見るたびに大先輩の言われた言葉を想い出します。
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