旦那(赤栴檀と難莚草)
もうずいぶん前の話になりますが、テレビで五代目桂米団治襲名披露を見ました。
この襲名披露の演目として取り上げられたのが「百年目」という噺でした。
この噺の中に南天竺にある赤栴檀(シャクセンダン)と難莚草(ナンエンソウ)の噺が出てきます。
「こんなに綺麗なシャクセンダンの根元にこないなもん生えささんでええがな、ぬいたれ、ぬいたれと誰もが抜きたくなるような草があります。この草をナンエンソウと言います。それが、どうでしょう、実際ナンエンソウを抜いてしまうと、シャクセンダンがみるみるうちに、枯れてしまうんですな。な~んでか?と言いますと、そのみすぼらしいナンエンソウが、何年も何年も四季をともに過ごしながら、枯れては新たに芽吹き、枯れては新たに芽吹きすることによって、枯れたナンエンソウがシャクセンダンのいい肥やしになりまして、シャクセンダンも生き生きとして綺麗に花を咲かせていたんですな。ナイエンソウはナンエンソウで、シャクセンダンの木陰で、しっとり雨に濡れるぐらいがちょうどいい。ナンエンソウは、シャクセンダンの根元でしか、シャクセンダンはナンエンソウのあるところでしか生きることができないんです。
ええですねぇ。こんな関係。そんなシャクセンダンとナンエンソウの関係でありたい、ゆう思いをこめて二つの花の名前をあわせて『旦那』と呼ぶんですね。呼ばれた旦那は旦那で、その関係を知ったうえで、その思いをうけるんですね。」というものです。
この噺のシャクセンダンという植物は、「栴檀(センダン)は、双葉より香し」のセンダンのことでビャクダン(白檀)の別名のようです。もう一つのナンエンソウは、これだろうと言う植物がよくわかりませんが、ビャクダンは、半寄生植物で幼樹の頃は、イネ科やアオイ科の植物に寄生して、成長するにつれて寄生性も高まり、成長すると付近の木は何でも宿主にしてしまうと言うことですので、他の木に寄生するまでに周りの草を抜いてしまえば噺のように枯れてしまうようです。生物の共生関係・寄生関係も生きていくための生活の知恵なのでしょう。
ちなみに旦那という言葉は、サンスクリット語のdana(布施・与えること)から来た言葉だそうです。噺では、お寺で聞いたとなっていますが、解りやすく共存関係を説くための例え話として受け継がれてきたのでしょう。
また、植物の方では、「栴檀は双葉より香し」と言われる白檀も双葉の頃も大きな木になってからも香りはしないそうで、高価な香木として使われているのは、白檀の芯の部分の黄色い部分だけで大きな木からも採れる量が少ないので高価になっていると言うことでした。
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