仁者楽山
高校で山岳部に入って最初の山行きで、顧問の先生から「山に来る人たちは、皆良い人たちだ。論語にも“仁者山を楽しむ”と言う言葉がある。」と聞かされて、鵜呑みにしていたのですが、本来は、山を楽しむというのは単なる喩えで、「仁徳のある人は、山のように揺るがず、悠々としている。」と言う意味だと言うことを最近になって知りました。
原文は、「子曰、知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者静。知者樂、仁者壽。」
【子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。】
訳文:先生がいわれた、「智の人は(流動的だから)水を楽しみ、仁の人は(安らかにゆったりしているから)山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は変化を楽しみ、仁の人は長生きをし人生を楽しむ。」 出典:『論語 雍也第六・23』
いろいろな解説をまとめてみると「いろいろな知識を備えた、いわゆる知者を水に喩え、仁徳ある人を山に喩えた言葉で、知識豊富な人は、水が一カ所に留まることなく行く道を探すように変化を求め、どんなことに対しても臨機応変に素早く動くことが出来る。仁を得た人は、心安らかで悠々とした静かな気持ちで構えることが出来る。そのため知恵ある人は、変化を好んで楽しみが尽きることがない。一方、仁徳ある人は、長生きをして人生を楽しむことができる。」と言う意味だということになるようです。
どうやら、山を愛する人は、人徳がある人だと言うことではないようですが、知的な人も他人の信頼が厚い人も自然を愛する心を忘れないでほしいものです。
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