啐啄の機
鳥の仲間では卵が孵化する時期が近づくと親鳥が卵をくちばしで突っつき卵の中の雛鳥に殻を破って出てくる時期だと知らせ、それに呼応して雛鳥が、殻の中から殻を突っつき破って産まれてくるのだと言われています。卵の中から雛鳥が出ようとする時に内側から殻を突っつくのが「啐」。外から親鳥が突っつくのが「啄」と呼ばれていて、雛鳥の「啐」と親鳥の「啄」との呼吸が合い、うまく殻が破られて雛鳥が誕生することが出来るわけです。どちらかが、早すぎても、遅すぎても、どちらかが強すぎても弱すぎてもいけません。いわゆる「阿吽の呼吸」が必要だとされています。
禅の世界では、師匠と弟子との間で仏法を相伝、伝授する時にこの「啐啄」という言葉が、使われるそうで、弟子の器が小さすぎると仏法はこぼれてしますし、器が大きすぎると物足りない。師匠の「悟りの力量」と弟子の「悟りの力量」が同等である時、初めて「一つの器の水を一つの器に移すがごとく」仏法の悟りが相伝されるのだそうです。
雛鳥に力が無い時に親鳥が殻を突き破ればヒナは死んでしまいますし、反対に親鳥に啄く力が無い時も、雛鳥は自力で殻を割ることが出来ずに死んでしまうのです。同様に、師匠である僧が弟子の修行の習熟状態や心境の充実度を見守り、悟りの機が熟したと思っても、弟子のほうが未熟であれば、悟りを開くことは出来ないでしょうし、弟子の方が、既に悟りの時期だと判断しても、師がまだその時ではないと思えば、悟りが伝授されたと言うことにはならないわけです。まさに「啐啄同時」でなければいけません。
茶の湯では、茶席の主と客の意気投合、呼吸の合った心の通いあいといった意味合いで「啐啄の機」と言う言葉が使われているそうです。
これまで自分を護ってくれていた堅い殻を破って、新しい世界に望むと言うことは、生きていく上で大切な転換点であるようです。
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